2010年10月20日水曜日

永遠にいきるがごとく夢を見ろ、今日死んでしまうがごとく生きろ

今年はいろいろと「健康」や「死」に対して見つめることが多かった。

まずは、祖母の体調が悪化していること。
もちろん、年齢もあるし、大きな病気もないなか老化というものを肌で感じた。

もっと歩きたい、一緒に旅行に行きたい。
本が読みたい。
習字をやりたい。
きれいな花を見たい。

祖母の手を握るとき、その力の弱さ、
そして、背中の小ささを切なく感じた。
今はだいぶ体調がよくなったため、歩く練習をしているけれど、
人一人が生きているということの重み、
その強く、太い意味を実感した。


もうひとつ。
大学の同期が大きな病気をしたこと。
「Ag腎症」
聞きなれない名前だけど、日本人男性がかかるリスクの高い病気。
体内に取り入れたいらないものは、しっかりと毒素を「排出」しなければならない。
彼はその毒素が体外に排出する機能が全体の20%にも満たなくなっている。
今全力で腎臓が彼の体を生かしているが、
5年以内で透析を使うリスクはかなり高い。


透析は週に3日、1日3時間は行うもの。
これを行わないと尿毒症となり、体に毒が溜まっていくのだ。
そして、いずれは腎臓移植も行わなければならない。


彼は私の1つ上。
やりたいことが山ほどあるなかで、彼は「制限」ができたのだ。
「自分のユニークさとして受け入れていくしかない」と語る彼の言葉が忘れられない。



「そして、生きていることに感謝を」



生きていることは、生かされていること。
そして、死を迎えなければならないこと。


目が見える。
手足が動く。
ご飯をおいしく食べられる。



そんな当たり前のことは、当たり前ではないのだ。



26の時、人生において信じられないような肌荒れを起こし、
毎日鏡を見て泣いていた日々。
「カラダは思ったよりも強くないのだ。
私のいろんなもの、悪いものいいものを吸収して耐えていてくれたんだ」って痛感した日々。


自分のカラダとココロは生かされているもの。
自分を大切にすること。
そうしないと、きっと何も大切にできない。


死を意識すること。
それは生の意味を教えてくれる。

Dreams as if you’ll live forever.
Live as if you'll die today
----------------------------James Dean

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